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Channel: おばあちゃんのAZ生活
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3日目

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3日目、4月23日(月)。
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この日の友達は、中国系アメリカ人(赤丸3)。5歳の時にアメリカに来たとか。
La Jollaにある大きな家から、大学近くのシニアマンションにご主人が移ったのが、5・6年前。彼女は元の家の整理をしながら、家とマンションと孫のいるサンノゼを行ったり来たり。やっと彼女が完全にマンションに移り住んだのは2年前のことです。

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マンションの下には、以前はAlbertson、今はBristol Farmsというグローサリーストアの他、レストラン、書店、郵便局などいろいろなお店の入っている複合施設の屋根と駐車場が見えます。
見えている建物はマクドナルド。
ガソリンスタンドもあります。

お部屋で話した後、ランチは下の食堂で。月決め契約で自分は留守が多いから、未使用分が残っている。使わなければただ無駄になるだけだから、月末には友達を呼んで御馳走するんだとか。ということで御馳走になりました。

最上階にはドレスコードのあるレストランがあるそうで、この日の夕食を主人も一緒にと招待されたのですが、残念ながら時間帯もドレスコードにも合わず、渋滞のハイウェーを帰ってきたのでした。
 
午後は、大学構内を案内してもらいました。
私たちがいた頃、大学の中にはインターナショナルセンターがあって、ボランティアグループ(中心になっていたのは大学の先生の奥さん達)が、外国からの研究者家族や留学生に様々な活動を提供していました。英語を学ぶ機会の提供は勿論のこと、生活に必要なものの貸し出し、中古の衣類や食器等を売る店もあり、日帰りでどこかに行ったり、クラフトの日、幼児が遊ぶ日もあり、週1回は約300人分の昼食を作って売りました。その時は日本人は包丁使いが上手だということでずっと野菜を切っていたことを思い出します。滞在中ボランティア仲間に入る外国人も大勢いました。
 
当時の会長がノートに書きつけていたのを、密かにコンピュータ化して行ったのは彼女です。今でも彼女が活動の広報関係を一手に引き受けています。
 
大学が生徒を増やし、規模を広げ、インターナショナルセンターの建物を完全に壊して駐車場にして、今ではボランティアグループの活動は縮小され、構内のあちこちに分散して続けているのです。必要品の貸し出しは、何と以前と全然違う場所にコンテナが2台置いてあって、この日は鍵がかかっていました。彼女が広報した今日初めてのタイチのクラスに行ってみました。先生が型を示して彼女が英語での補足説明をしていました。
 

大学の後は一旦マンションに帰り車を置いて、近くのモールをウォーキング。ここも大規模工事の最中。フードコートやアイスホッケーをしていたリンクは元の位置にあったけど、隅にあったNordstromというデパートは完全に違う場所に移動していました。地下に立派な駐車場ができ、行き慣れた場所とは思えない程変わっていました。

以前なかったこんなお店があって...
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この日本語訳はどういう意味?変なの!
と言っても日本人でない人たちには、どうせ日本語は読めないのだから
おかしいとも思わないのでしょうね。
 

彼女夫婦の住んでいるシニアマンションは、住民の車もお客の車もすべてVALET PARKINGで、鍵を渡して1日中地下に止めておいてもらえました。無料でした。
 
彼女も元気、元気。
私より2・3歳上のはずだけど、携帯のメッセージ入力を、若い人達と同じように両手の指でパッパッパッと打てるんですよ。


この日もあまり写真を撮っていないわ。
そして、帰りのハイウェーはまたまた渋滞でした。

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